たったひとつの冴えたやりかた
たったひとつの冴えたやりかた
どこへ行ってもコロナの話題。お店は自粛、仕事はテレワークを推奨。
世の中大変なことになってる。
でも仕事は休めないし、こんなご時世でも朝礼、終礼なども普段通り。
今日は休みで、SFマガジンで初めて読んでから何度か読み直してるジェイムズ・ティプトリーJrの「たったひとつの冴えたやりかた」を読み返す。

小型宇宙船で宇宙を旅してる主人公コーティーの脳に生命体イーアが寄生してしまう。
生命体にシロベーンと名付けて最初は意気投合していたけど、イーアは胞子を飛ばして増える生物で、感情を制御できないと時間が過ぎていくにつれ宿主の脳を食い荒らすことになる。
シロベーンは教育を受けていないので自分を制御できず食い荒らした後にたくさんの胞子を飛ばして他の生物に寄生してしまうという。
このまま地球に戻ると人類すべてがイーアに寄生されてしまう。地球に向かう途中でコーティーは人類を救う方法を思いつく。

この生命体がコロナウイルスのように思えてしまう。
読み返すたびに涙腺が刺激されてしまう。

中国で昨年12月末に新型ウイルスが最初に発生。4月8日時点で192の国・地域で計139万7180人余りの感染が確認。25万7100人余りが回復。
被害の大きな国は
イタリア 1万7127人が死亡、13万5586人の感染。
スペイン 1万3798人が死亡、14万510人の感染。
米国   1万2021人が死亡、38万3256人が感染。
フランス 1万3028人が死亡、10万9069人が感染。
英国   6159人、5万5242人が感染。
イタリアでは2万4392人が回復している。

人類はウイルスや細菌が引き起こす感染症に何度も立ち向かっている。
最近のデータを見ると、2018年に最も大きな被害を出したのは結核。世界人口の4人に1人が結核菌に感染しているとみられ、約1千万人が発症、約150万人が死亡している。
エイズウイルス(HIV)には18年に170万人が新たに感染し、77万人が死亡。
インフルエンザでは毎年、世界全体で25万~50万人、日本で1万人の死者が出ていると推計されている。
はしかも18年の患者が約976万人で、乳幼児を中心に14万人が死亡した。

暑中お見舞い申し上げます
暑中お見舞い申し上げます
暑中お見舞い申し上げます
いつの間にか暑中見舞いを出す人もかわす人もいなくなったのでブログで暑中見舞い。

とても親しかった人たちが生まれる前の世界に行ってしまったというと淋しいけど、その定めは避けられないし、あるからいいのかもと思う。
密に付き合う人がいなくなって、いろいろな人と広く浅く付き合う。

熱中症で倒れてないだろうか、職場で嫌な思いしていないだろうか、ちゃんと学校に行けているだろうか、何かにつけて心配していた人たちが今はいない。その分気持ちがゆったりしてる。
辛いことはいつまでも続かないから、過ぎた日を思うことが少しずつ穏やかになるように願っている。
大切なものがなければ失う怖さもない、そう思うと身体が軽くなって夏空に吸い込まれていきそう。

幸せなんて言葉もあるが人それぞれに秤が違うというのは、さだまさしの曲「HAPPY BIRTHDAY」の一節。

みんなが考えているよりずっとたくさんの幸福が世の中にはあるのに、たいていの人はそれを見つけないのです。
メーテルリンク「青い鳥」の中の言葉。

7月になると緑色のクリームソーダが飲みたくなる。
ファーストキッチンのクリームソーダ。温かいカフェラテと一緒に頼んで、クリームソーダの氷を口に入れて温かいカフェラテを飲むと口の中で氷が溶けていく。その感じが気に入ってる。

閉館間際の水族館では、ほとんどのペンギンは泳ぐのを止めて寝る準備。
オットセイは岩の上ですでにおやすみ。

気分転換に行く露天風呂で汗をかいて火照った体のまま、併設のレストランで冷たいそばを食べる。わさびを効かした汁は鼻につんとくる。

のんびり歩く道すがら咲き誇っている花々の写真をパチパチ。
そんな普通にありきたりの時間に季節を思う。いいなあと思う。

上野ダンディに7時過ぎに行き露天でゆっくり。
外人さんが増えた。
横になって軽く布団をかけてのんびり、大の字になってふとんから手がはみだす。
なんとも幸せな時間。
些細なことで自信が戻ってくる。
捨てたもんじゃないね。ありがとう。

こんな時、こんな形。わからないものだね。
あれから酒井法子「蝶々」リピート

銀河鉄道の夜

2017年11月14日 読書
銀河鉄道の夜
銀河鉄道の夜
銀河鉄道の夜
銀河鉄道の夜は宮沢賢治の死後に発表された童話。
なんども章の順番が入れ替わり、削除されて今の形になったもの。
ジョバンニとカムパネルラが旅する中で暗号のような言葉、抽象的な表現が多く出てくるのでわかりにくい部分も多いけれど、そのわかりにくい部分が魅力だったりする。
賢治は生前友人に自分の文章がわからなくて当然というようなことを言っている。すべての人にわかってもらいたくて書いているのではないからである。

文章でも音楽でも他の人に受けるように書くものと、自分のために書くものとでは大きく違う。
賢治が親友だった保阪嘉内と自分のふたりにしかわからないような言葉を散りばめて書いているのが銀河鉄道の夜なのかもしれない。

賢治はお坊ちゃん育ち、奇人に思われることもある淋しい子供だったと言われている。
生前に書いた手紙が多く残されているが、個人的な手紙の中で飛びぬけて数が多いのが賢治が学生時代に参加していた同人誌「アザリア」の仲間のひとり保阪嘉内に宛てられた73通。

大正5年盛岡高等農林学校の自啓寮南9号室の室長になる。室長は優秀な学生の中から選ばれる。
同じ寮に入室したのが保阪嘉内。
それまで文章を発表することもなかった賢治が静なら嘉内は動。様々なものに興味を持って賢治の見識を広めてくれた嘉内に影響を受けていく過程が残された文章でよくわかる。
そのうえで、銀河鉄道の夜を読み返すとジョバンニ=賢治、カムパネルラ=嘉内の構図が一目瞭然に思える。
宮沢賢治が聖人君子ではなく、ひとりの人間として浮かんでくる。
ストイックでもあり春画のコレクターでもあり、知的でもあり世間知らずでもある人間らしい魅力を感じずにはいられない。

賢治と嘉内が最後に会ったのは大正10年7月18日。帝国図書館の3階。そこで仲たがいした二人は結局死ぬまで会うことがなかった。
手紙のやりとりは後も続いていたが賢治からの手紙は嘉内が結婚をした3か月後に出されたもの以降は見つかっていない。
出されなかった手紙の中に嘉内宛てであろうという下書きはある。

帝国図書館は現在は国立国会図書館国際子ども図書館と名前を変えて残っている。

菅原千恵子「宮沢賢治の青春」がBL認定みたいで面白かった。
ブックオフで保阪嘉内側から見た「心友」を読んだけどいまいち。すぐに戻した。

甲斐に行く万世橋の停車場をふっとあわれにおもひけるかな
1916年8月17日 保阪嘉内あて 封緘葉書
交通博物館のあった場所が万世橋停車場。嘉内のいる甲府まで甲斐鉄道の始発がでていた。

われはダルケを名乗れるものと
この詩は帝国と書簡での嘉内との決別のこと

3階の大きな窓のことらしい

圖書館幻想
室の中はガランとしてつめたく、
せいの低いダルゲが手を額にかざしてそこの巨きな窓から西のそらをじっと眺めてゐた。
ダルゲは灰色で腰には硝子の蓑を厚くまとってゐた。そしてじっと動かなかった。
窓の向ふにはくしゃくしゃに縮れた雲が痛々しく白く光ってゐた。

自分の道を進みだしたのちの話
ベートーベン100年祭レコードコンサート 花巻農学校を退職間際に開催


つきのぼうや

2017年5月14日 読書
つきのぼうや
つきのぼうや
つきのぼうや
デンマークの絵本作家イブ・スパング・オルセンが1963年に発表して日本では75年に紹介されたのが「つきのぼうや」。

そんなオルセン展覧会がちひろ美術館で開催されていた。

特徴のある縦長の絵本で、これは本棚に並べづらいなあと思いながら見ていたけど、ラストがとても気に入ってる。
もともとはテレビの普及していない時代、子供たちに動くような絵を見せてあげたくて、こんな長い形になった。新聞で発表されたものをつなげて巻物にして読めるようにしたという。

お月様は池にいるお月様を見て友達になりたいと思い、つきのぼうやに連れてきてくれるように頼む。
ぼうやは、星や雲や飛行機や鳥や木のそばを通ってどんどん降りていって水の底にあった手鏡でやっとお月様を見つける。
つきのぼうやはお月様のもとへ鏡を持って帰るとお月様はその鏡をのぞき込んでひと言。
「なんて、りっぱで、うつくしいかただろう!」
それからお月様は、おしゃべりがしたくなると鏡をのぞき込んでお月様に話しかけては、幸せな気持ちになった。

笑ってしまった後で、ふとお月様は、話しかけたあとに返事がなくて淋しくならないのかなと思ってしまうけど、やさしくかわいい絵本にはかわりない。

絵本と原画の違う部分を発見して、ちょっとうれしかった。


4度目の「ノルウェイの森」
4度目の「ノルウェイの森」
何度も読み返したくなる本に出会えると幸せだけど、そうでもない思った本を何度か読み返したことがある。

村上春樹の本は大方が好きなんだけれど「ノルウェイの森」の面白さがいまいち分からない。
最初に読んだのは流行っていたころ。次は村上春樹ファンの人と話していて「ノルウェイの森」がいまいちと言ったら、ちゃんと読み返してくださいと言われ読み返し、3度目も似たようなもので深く読めば村上春樹のすごさがわかると言われて読み直し。
読みやすいけど読み終えて何も残らない。

新潮社が「村上さんのこころ」というサイトをやっていて村上春樹が読者の質問に応えてくれていた。
「僕はあの本のほとんどをローマで書いたのですが、僕の記憶の中ではローマの街は光り輝いています。そういう輝きはたぶんあの小説の中に反映されているはずだと僕は感じています。もしよかったら、もう一度読み返してみてくれますか?」とあった。

ローマの街を思いながら「ノルウェイの森」を再読。買っては手放してで購入するのは4度目。
じっくり読み返したけど、やっぱり合わない(><;)。
主人公の友人で最初に自殺するキズキ君が希薄で魅力がないから、その人を好きな直子にも感情移入できない。
5度目はないと思う。

楳図かずお 14歳 超完全版
楳図かずお 14歳 超完全版
スピリッツに掲載されていたときから異彩を放っていたけれど、単行本でまとめて読むと汗をかいてしまうくらい独特の世界観がある。

最近、超完全版が発売されたので、さっそく購入。コロコロコミック以上の分厚い本が4巻でラストは新しく書き下ろされたエンディングと楳図かずおのインタビュー。

楳図かずおを読み返すと科学への警鐘が出てくることが多い。14歳では地殻変動の影響で地下に埋めた核廃棄物が空から降ってくる。
311の原発事故以降、原発の真実が表面化したけれど、マンガで核廃棄物を降らせてしまうところがすごい。

それと異性人が地球人を蹂躙、というよりはレイプしまくるシーンは、ここまで描くのかというくらい生々しい。
他にも美少年嵐が後ろから襲われたり、女性より男性の方が生々しく描かれているのが楳図先生らしいなあと思う。

1Q84 ひとりぼっちではあるけれど孤独ではない
以前、村上春樹の大ファンの人たち何人かに、「春樹の小説の白眉は『ノルウェーの森』だ」と言われた。
「春樹の小説は大好きだけど『ノルウェーの森』の面白さはいまいちわからない」と言ったことに対してのこと。
「1Q84」を読んでいたら「ノルウェーの森」と似ているような気がしたので思い出した。内容じゃなくて雰囲気が似てる。
自分的に長編は「羊」「ワンダーランド」「ダンス」がベスト。

「1Q84」未読でこれから読もうと思っている人は、この先ネタばれです。

ラストで天吾と青豆が、やっと出会ってお互いの孤独をわかちあうのだけど、この2人の孤独が伝わってこない。
3巻で「ひとりぼっちではあるけれど孤独ではない」という青豆の言葉が出てくる。言葉遊びのようだけど、孤独ではないという青豆にあっていると思う。

都会の雑踏の中を歩いていたり山歩きをしているときに、ひとりで孤独だけどさみしくないと思うことはある。
小説を読んだり映画を見ているときに言いようのないシンパシーを感じてさみしくないのは孤独に慣れてしまっただけなのかと感じ、そこに惹かれてしまうことも多かったりする。
そういう場合に登場人物には幸せになってほしいと感情移入してしまうのかもしれない。

「1Q84」には、そんな孤独が感じられなかった分、ページをめくりやすかった。
面白いけど図書館で借りて読む本だと思った。
ごろごろにゃーん 長 新太
絵本が好きで、ときどき引っ張り出してはペラペラめくってほんわかしている。
今日は長新太の「ごろごろにゃーん」を見ていた。最初から最後まで飛行機に乗った猫たちが話すのは「ごろごろにゃーん ごろごろにゃーん」。
青い海を青い空を青い飛行機がごろごろにゃーんと飛んでいく。途中の見開きページで飛行機の中の猫たちの目が笑っている。
それをみているだけで顔がほっこりしてしまう。楽しくなる。
猫の絵本は好きなものが多い、猫の不思議でちょっとぼけている感じが絵本と合うのかも。
佐野洋子の「100万回生きたねこ」だけは、どうしても苦手。佐野洋子の書く文章、特に家族の話とかは好きなんだけど。
追憶の夏−水面にて H.M.ヴァン・デン・ブリンク
水の描写が美しい静かな小説だった。
登場人物が極端に少なく話は淡々と進んでいく。
自分の父親がきゃしゃで頼りなく、自分を守ってくれる度量がないことに、当たり前のように気がついてしまった少年の成長の物語。
全編、孤独感の漂うストイックな話だなあと思っていたら、シャワーを浴びるシーンで、いきなりモヤがかかったようなエロチシズムが描かれていくので驚いた。
オランダでベストセラーとなった小説。
江國香織のような「夜の公園」 川上弘美
購入後、読まないままだった川上弘美の「夜の公園」。
お互いに不倫している夫婦。その夫に本気になる妻の友人。その女性に夢中な若い男。妻にのめりこむ若い男の弟。
ぐちゃぐちゃなんだけど、読んでいる途中で、少し前の江國香織の小説みたいだなと思った。
でも、後半になって、やはり川上弘美だなあと思ったのは全体に醒めている感じがするからかも知れない。
「自分がさみしさを感じないことすら、さみしくない」って言葉、よくわかる。
関係ないけどheacoの「夜の約束」を思い出した。曽我部恵一の曲は今ひとつなんだけど、この曲は名曲。