現世は夢 夜の夢こそまこと
現世は夢 夜の夢こそまこと
現世は夢 夜の夢こそまこと
現世は夢 夜の夢こそまこと、とは江戸川乱歩の言葉だけど、夢の中の自分の方が生きてる自分なのではと感じることがある。
むしろエドガーアランポーの「この世の現実は、私には幻」の方に近いのかも。
テレビはDlifeのドラマくらいしかみていない。ネットのニュースも興味のあるもの以外は飛ばしてしまうので世間がわからない。

子供の頃から周期的に霞を食べて生きてるような時期が来るんだけど、霞を食べて生きてる時期の方が生きてるのかもと不思議になる。
夢の中ではよく料理を作っている。昔作ったものもあれば、想像もできないようなものもあるけど、どれも不思議なくらいリアル。

山の日という祝日がが出来たのを夢庵のメニューで知った。
1180(いいやま)メニューがあって山盛海老天丼が税抜き1180円。
注文した後にアプリを見てたら生ビールが99円、天丼100円引きとあったので生ビールを注文したついでに100円引きにしてもらった。

夢庵に入る前に、モバイルショップに立ち寄った。
お客さんがいなかったのでスマホを買い替えると通信料が安くなるか聞きにいったんだけど、Yモバイルとソフトバンクは仲間だけどいっしょじゃないんですといわれ、ついでにキャンペーンのくじをひいたらフテニャンのズキュン焼きそばが当たった。
大きくてすみませんと言われて持っていたのだけど、夢庵で注文を取りに来たお店の人に「なんですか、それ。なんか気になって」と聞かれたくらい大きかった。

夢で食べてる料理がリアルで、現実で食事してる店の名が夢庵。
霞を食べて生きてるようで、しっかりクーポンを使ってるところなんか客観的に見て現実的。そんなバランスでずっと来てる気がする。

近所の植え込みで季節おくれの紫陽花がひとつ咲いていた。
他はすでに時期を終えているのだけど、そういうのもいいなあと思って写真にとった。


コメント

nophoto
花さん
2017年8月14日14:28

こんにちは。以前にもコメントさせて頂いた者です。その際、とても暖かいお返事をして頂きうれしく思いました。夢のお話、とても興味深いです。そう言えば。りデルさんのお話も「りデル夢の中」でした(あれ?ですよね)。「ポーの一族」もまさに夢なのか現実なのか?な霞のようなお話。そういう感じのものの方が今も好きです。自分は本当に昔から数年に一度くらい自分の住む市内のとある畑のまん中に一軒の雑貨屋さんがあってそこに入る夢を見ます。で、目覚めるとガッカリします(笑)。同時に「あれ?あのお店、昔、本当にあそこにあったよね?」と思ってしまいます。よく考えたらそんな畑のど真ん中にそんなお店が過去にもあったはずはないのですが「いや、そんな・・あったかも?」と目が醒めるとしばらく混乱してしまいます。そこにはきれいな翡翠のような色の石の花瓶とかそれこそ紫陽花の青か紫のような石でできた小物とか(よく覚えていなくてすみません)があるんですよね。と、自分語りすみません。こちらのブログを読むのを実は糧に?している方々の私も一人です。お母さんの手のぬくもり・・すこしうらやましいかも。

nophoto
花さん
2017年8月15日9:05

ごめんなさい。りデルさんの物語は「りデル・森の中」でしたね。変なこと書いてしまいました。お許し下さい。

BOTETO
2017年8月15日14:46

こんにちは。夢の話ですが、以前、ナルコレプシーじゃないかと言われたことがありました。寄生獣のミギーとか、マイプライベートアイダホのリバーフェニックスみたいに、どこでも突然睡魔が襲ってきて、とにかく座れる場所を探して眠っていました。1日の半分以上を寝ている時期もあって、そんな時期は同じような夢を見ることが多いのですが、その夢の方にいたいと思ったり。
内田善美の星の時計のLiddellの中でも胡蝶の夢のような話が出てきて、最後は目覚めなくなりますが、意外と多いのかもと思います。
リデルが過去の出来事を夢だったんじゃないかと思う、というか思い込んで窓を閉める気持ち、生きていくということだなと思います。
逆にはるかな国の花や小鳥のエルゼリは現実では生きられませんでした。
花さんの夢の話でオランダの作家ティム・クラベーの小説を思い出しました。
誰もいない何も起こらないブルーの色の中で自分を待っていてくれる人の家へ静かに歩いていく夢を何度も見るという話が象徴的に出てきます。待っている人がどんな人かはわからないけど夢を見た後には何日も幸福感が続くというものです。
絶望的な物語ばかりの作家で作品は少ないけど、どれも印象的な読後感を感じます。
自分も不思議な同じような夢を何度も見ます。
決して行ったことのない場所で会ったことのない人が出てきます。目覚めた後に何だったんだろうと毎回思います。