年末年始の月

2017年1月14日 日常
年末年始の月
年末年始の月
いつの間にかうとうと眠ってしまって、トイレに行きたくなって目が覚めたけど、なんか幸せな夢をみていた。
内容は覚えていないけどしあわせな気持ち。もう一度毛布に包まって熟睡。

寒い日が続いててホームレスの人は大変だろうなあと心配になってホカロンを配ってきたけど、おにぎりにした方が良かったかな。

この冬は月ばかり空ばかり見ている気がする。

年末に妹がガンの摘出手術で入院した。
母親がお見舞いに行きたいと言っていたけど転んで足を痛くして、おまけに咳をしてるのに来られたら迷惑だから来ないでと妹は言った。

お正月早々に姪が母親のところへ遊びに行ったらおばあちゃんの足が変だと救急車を呼んだ。
「なんでこんなになるまで放っておいた」と言われたと泣いていた。

足が壊死していて、血管をつなげる手術をして成功しても足首は切断、そうじゃなければ太ももから切断だという。
ひとり暮らしだったし見栄っ張りだから病院へ行かなかったのかもしれない。気が付かなかったこと、離れて住んでる母親を放っておいたことで自己嫌悪に陥った。

腎臓も弱ってるから腎臓機能が良くなったら一刻も早く手術しないと危険な状態という。
入院して1週間も絶たないうちに、うちの病院では血管をつなげる手術は無理なので大きな病院に移すことの承諾書にサインしてほしいと電話が来た。
片道4時間かけて病院に行くと母親は気力を失ってる。車いすになったら歩くより楽だよ

医者の承諾書にサインする前に妹に電話すると、足を切断させるのはかわいそうだから断ってという。
医者は足を切断しないままだと長くないけれど、切断して手術が成功すればリハビリして車いすで生活できるので手術した方がいいと勧める。

どちらが辛いのだろうか。また落ち込む。答えはでない。

病院の帰りに母親のいた狭いアパートの部屋の整理を始める。もう二度と母親が戻ることのない部屋。
荷物の少ない母親でも服や荷物をまとめるとたくさんになる。みんな燃えるゴミになると思いながら少しずつ片づけていたら、メモ書きノートが出てきて、子供たちを不幸にさせてしまった悪い母親だから罰が当たった。さみしいさみしい。
父親が出てった後、心中しようとしたけど、子供の首をしめようとしたら楽しい夢を見てるみたいでニコニコしていたからできなくなった。女手ひとりで子供二人を育てたのに、子供に捨てられるなんて思ってもみなかった。ともあった。

母親のとこにはたまにしか行かなかった。行ってもすぐに帰りたくなった。
メモに、久しぶりに来てくれたのに、すぐに帰りたそうでさみしい。
そんなことが書かれていたのを見て、自己嫌悪がピークに達して帰る気力もなくなって横になったまま寝てしまった。
母親のいない部屋は不思議なくらい居心地が良かった。

年末年始、気が付くと神様神様って、つぶやいたり頭の中で考えたりしていた。
神様見守ってくださいという思いすら浮かばず、願うこともなくただ神様神様って。
きっと日本中で10の指に入るくらい神様のことを考えていた気がする。

母親がもし妹が逝ってしまうなら自分が変わってあげたいといったのを神様がきいていたのかもしれない。

死なんて年をとると誰でも通る道、はっと気が付いたときは近くに来てる。そんなものかもしれない。

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