わたしはロランス

2016年12月13日 映画
わたしはロランス
わたしはロランス
わたしはロランス
「ぼくを葬る」のメルヴィル・プポー主演の「わたしはロランス」。
グザヴィエ・ドラン監督が女性の心を持って生まれた男性が大人になってから女として生きること決めたあとのストーリー。
性転換手術するわけでも、恋愛対象が男に変わるのでもないので、ずっと付き合っている女性との関りはかわらない。
女性の方からみると恋人が突然、心は女だと言われて化粧し始めてしまうのは青天の霹靂。

世の中、ボケたらホームに入れてしまう家族、旦那が失業したとたん離婚する妻、妻の体形が変わったら愛情が覚めるなんて、よくある話。
性別が変わっても気持ちは変わらないと言われても、自分がその立場にならないとわからないと思う。
ドランの映画は妻や妻の妹の目線、母親の目線が現実的。

ドランのお父さんが不動産屋のおやじさんを演じてる。他の映画にもでてるから親子関係はいいのだろう。ドランがゲイだとカミングアウトしたときに周りはすんなり受け入れたそうだ。

大島弓子「ダリアの帯」で倦怠期を感じていた夫が息抜きのように同じ会社の女性社員に淡い恋心を持ち始めたころに妻が精神に問題をきたす。
普通の生活ができないほどになって家族の勧めもあって病院に入院させる。
けれど自分の責任も感じて病院から逃亡させて人里離れた山の中でふたりで隠れるように暮らし始める。
妻は夫のこともほとんど憶えてもいない状態なのに、夫はそんな妻のために畑を耕し生活を続け年をとってばったり死んでいく。

阿部潤のマンガ「パパがもう一度恋をした」は一つの究極。
心から愛していた妻が死んで自分も死んでしまいたいと思っていた時に妻が加齢臭を漂わす中年男として生き返る。
話し方も性格もかわいかった妻のものだけど、最初は近づかれると思わず張り倒してしまうくらい外見に嫌悪感を感じてしまう。

中島みゆきの「あした」の歌詞

もしも明日 私たちが何もかもを失くしてただの心しか持たない やせた猫になっても
もしも明日 あなたのため何の得もなくても言えるならその時 愛を 聞かせて

ブラッドベリの小説にも愛なんて目に見えないものをなんで信じたいと思うんだろうとあるけど、目に見えないから信じたいのかもと思う。

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