リデル・森の中 ポーの一族
2016年8月7日 アニメ・マンガ
現在、噴火活動が続いている箱根の大涌谷。10代の頃に何度か散歩したことがある。
大涌谷温泉に冠峰楼という温泉宿があって、そこの裏手から大涌谷に上る細道が続いていて、そこを歩くのが好きだった。
宿で働いてる人にカツくんとミキちゃんという2歳か3歳の男女の双子がいた。人見知りのカツくんはお母さんにぺったり、人懐っこいミキちゃんはなにかとついてくる。
大涌谷に行くときにも、ミキちゃんがついてきた。宿で飼われてるエルという大きな犬もついてくるので、いつもトリオで遊んでいた。
細いゆるやかな枯葉の道をミキちゃんペースでのんびり上る。エルはいつでも先に走って行っては戻ってきて足にからんでくると、また走って行っては戻ってを繰り返し、体全体でうれしそう。
うっすらと日が差している場所と開けて日が差す場所が交互にくるのでテクテクとのぼると大涌谷への道。雨上がりの匂いとキラキラした空。
どのくらいの時間歩いていたのか、どんなルートだったんだろうと思って調べていたけど冠峰楼(休館中)。通った道を調べようにも地図にも出ていない。もう道すら無いのかもしれないなあと感傷的になる。
萩尾望都の「ポーの一族」の話。
エドガーが殺した夫婦の馬車の中に小さな少女リデルがいた。エドガーとアランは小さい子だからとふたりで育てる。
年をとらないエドガーたちはリデルが10歳になるとリデルをリデルの祖母に引き渡す。
そのうち、リデルは子供時代育ててくれたエドガーたちは何者だったのか不思議になる。そして自分だけが年を取るから彼らに捨てられたと思う。
年をとったリデルが夫に「私、昔小鳥の巣箱にいて、遠い森の中で2羽の小鳥に育てられたんですよ」とつぶやく。夫は何のことかわからずに微笑むだけ。
ポーの一族が再開されたらしいけど、なんとなく読む気にならない。
記憶や思い出は分かち合える人がいると、より楽しくはっきりしたものになるけど、ほとんどの記憶は自分一人だけのもの。他の人に話してもわからない。
だからなおさら夢みたいに思えるのかもしれない。
大涌谷温泉に冠峰楼という温泉宿があって、そこの裏手から大涌谷に上る細道が続いていて、そこを歩くのが好きだった。
宿で働いてる人にカツくんとミキちゃんという2歳か3歳の男女の双子がいた。人見知りのカツくんはお母さんにぺったり、人懐っこいミキちゃんはなにかとついてくる。
大涌谷に行くときにも、ミキちゃんがついてきた。宿で飼われてるエルという大きな犬もついてくるので、いつもトリオで遊んでいた。
細いゆるやかな枯葉の道をミキちゃんペースでのんびり上る。エルはいつでも先に走って行っては戻ってきて足にからんでくると、また走って行っては戻ってを繰り返し、体全体でうれしそう。
うっすらと日が差している場所と開けて日が差す場所が交互にくるのでテクテクとのぼると大涌谷への道。雨上がりの匂いとキラキラした空。
どのくらいの時間歩いていたのか、どんなルートだったんだろうと思って調べていたけど冠峰楼(休館中)。通った道を調べようにも地図にも出ていない。もう道すら無いのかもしれないなあと感傷的になる。
萩尾望都の「ポーの一族」の話。
エドガーが殺した夫婦の馬車の中に小さな少女リデルがいた。エドガーとアランは小さい子だからとふたりで育てる。
年をとらないエドガーたちはリデルが10歳になるとリデルをリデルの祖母に引き渡す。
そのうち、リデルは子供時代育ててくれたエドガーたちは何者だったのか不思議になる。そして自分だけが年を取るから彼らに捨てられたと思う。
年をとったリデルが夫に「私、昔小鳥の巣箱にいて、遠い森の中で2羽の小鳥に育てられたんですよ」とつぶやく。夫は何のことかわからずに微笑むだけ。
ポーの一族が再開されたらしいけど、なんとなく読む気にならない。
記憶や思い出は分かち合える人がいると、より楽しくはっきりしたものになるけど、ほとんどの記憶は自分一人だけのもの。他の人に話してもわからない。
だからなおさら夢みたいに思えるのかもしれない。
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