If We Make It Through December
2016年4月8日 音楽
USカントリーのマール・ハガードさんが3月6日、肺炎による合併症のため死去した。79歳だった。
クリスマスも関係なく働いて、12月さえ乗り切れればきっとよくなる、とうたわれてるこの曲は、1973年にリリースされ4週間カントリーチャートでNo1を続けたマールにとって16曲目のカントリーNo1ヒット。ポップチャートのNo28は彼の曲の中でも最高位。
刑務所に服役していたことなどアウトロー的なイメージの強いマール・ハガートだけど、その歌はどこまでもやさしかった。
遠いむかしポータブルラジオで雑音と格闘してラジオの位置を変えながら毎週全米Top40を聞いていた。
この曲がチャートインしてきて、すぐに気に入ってレコードを探したけど、日本では発売はされず、探し回って銀座のハンターでシングルをみつけた。
日本のシングルとちがってアメリカのシングルは紙袋にレコードがはいってるだけのシンプルなものだったから、気に入った写真でジャケットを作って、一生懸命ヒヤリングをして英語詞を書きとって訳して解説を書いて・・・、誰に見せるものでもなく、一人遊びの自己満足だった。
そんなことに一生懸命になっていた当時の自分が見えるような気がする。
マール・ハガートも銀座のハンターも一緒にTop40を聞いていた友人もいまはいないけど、Youtubeで当時のマール・ハガートの映像を見ることが出来る。
MTVさえなかったむかしを思うと夢のようだね。
R.I.P. Merle
クリスマスも関係なく働いて、12月さえ乗り切れればきっとよくなる、とうたわれてるこの曲は、1973年にリリースされ4週間カントリーチャートでNo1を続けたマールにとって16曲目のカントリーNo1ヒット。ポップチャートのNo28は彼の曲の中でも最高位。
刑務所に服役していたことなどアウトロー的なイメージの強いマール・ハガートだけど、その歌はどこまでもやさしかった。
遠いむかしポータブルラジオで雑音と格闘してラジオの位置を変えながら毎週全米Top40を聞いていた。
この曲がチャートインしてきて、すぐに気に入ってレコードを探したけど、日本では発売はされず、探し回って銀座のハンターでシングルをみつけた。
日本のシングルとちがってアメリカのシングルは紙袋にレコードがはいってるだけのシンプルなものだったから、気に入った写真でジャケットを作って、一生懸命ヒヤリングをして英語詞を書きとって訳して解説を書いて・・・、誰に見せるものでもなく、一人遊びの自己満足だった。
そんなことに一生懸命になっていた当時の自分が見えるような気がする。
マール・ハガートも銀座のハンターも一緒にTop40を聞いていた友人もいまはいないけど、Youtubeで当時のマール・ハガートの映像を見ることが出来る。
MTVさえなかったむかしを思うと夢のようだね。
R.I.P. Merle
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