スーパー冨士屋が閉店していた
スーパー冨士屋が閉店していた
以前、神保町で働いていた頃、皇居の白鳥に餌付けして遊んでいた。
いつも平河門の近くに2匹で浮かんでいて、近づくと寄ってくるので、お昼休みに冨士屋スーパーで自分のお昼と一緒に白鳥にあげるパンを買っていた。
大きいほうをHack、少し小さいほうをChoって勝手に名前をつけて呼んでいたりした。
当時、毎日残業で、自分にとって人間関係が良好とはいえなかった職場だったんで、白鳥にエサをあげながら食べる昼飯が、いい感じの息抜きになっていた。

今日、ひさびさに近くを通ったらドラッグストアに変わっていた。
店の前でセールのチラシを配っている人たちがいたけど、店頭で配っている人がどこか怯えているような変な感じだったので見ていたら、その人以外の人たちが配っているのはセールのチラシじゃなく、スーパーの突然の閉鎖に抗議してのビラだった。
配っているのは冨士屋スーパー元従業員たちで従業員や取引先にも伝えていない突然の倒産らしかった。

スーパーに限らず倒産する前は兆候がある。普通にしている感が普通じゃない。
人はうそをつくときに普通に振舞おうとして、そこが普通すぎてわかってしまう。
けれど人は不信に思っていても、心のどこかで信じてしまう。

白鳥にパンをあげていたときに、よくハトとすずめに襲われていた。白鳥だけ贔屓しちゃかわいそうだから、少しずつパンをあげていたけど、特にハトは半端じゃなく寄ってきて頭や肩にとまってきた。
毎日、しょうがないと思いながらハトに埋もれてパンを食べていたけど、ある日、
「毎日新聞社の新人なんですが春らしい風景の写真を集めているんで、鳥と一緒の写真を撮っていいですか」といわれ、何枚も写真を撮られたことを思い出した。

春らしい風景というより、ハトに襲われているサラリーマンという写真だったんじゃないかな。どんな写真だったんだろう。。。何かに使われたのかな。
ちょっと懐かしい。



コメント

yasai
2013年10月22日5:39

そうですか 富士屋スーパー が倒産ですか 世の中変わりますね

BOTETO
2013年10月22日9:51

神保町はすずらん通りのお店もいくつも変わっていて、自分の知っている神保町と違っていて少し寂しい気もしますが、自分の知っている神保町を見た昔の人は同じように感じたんだろうなあと思います。
そして今の神保町を見ている人は、それが自分の親しんでいる町なんでしょうね。

nophoto
ドレミファどーなっつ
2022年1月4日11:45

市ヶ谷の江上料理学院の前や中野の北口にあった買取専門店「光陽商事」は2012年9月に倒産・破産してしまい、今は名古屋の大須観音に本社と本店を置き、東京でも新宿や銀座に店を構える「コメ兵」の買取センターになっているそうです。